社畜ライターのチラ裏

社畜ライターが仕事から離れて好き勝手に書くブログ。

大田区を歩く

仕事で大田区を訪れた。なんとも素朴な街だ、というのが第一印象である。

 

高いビルもなく、駅前を離れれば道の広さもそれなりだ。歩いていて落ち着く街並みである。

 

しかし、それでもだ。純然たる田舎者である僕にとって、大田区はやはり東京を感じる街でもある。

 

高いビルはないが、建物と建物の隙間は狭い。道は狭くないが、広々としているというほどでもない。

 

居心地の良さと悪さが同居したような、そんな場所なのだ。

 

取引先へ向かう途中、休憩がてら個人経営の喫茶店に寄った。昔は喫茶店巡りもよくしていたが、今はあまりしない。独り身でないというのは幸せなことであり、自由を失うということでもある。

 

この喫茶店を選んだ理由は単純だ。道中にこの店しかないからだ。それでも、ネットで評価を見れば上々。落ち着いていて居心地の良い店という口コミが多数見られる。

 

それなりに期待して入った喫茶店は、お洒落な内装と80年代の洋楽が流れているこじんまりとしたお店だった。木目調のカウンターテーブルの席や、ローテーブルにソファーの席もある。

 

時間と立地のおかげだろうか。客層は子連れのお母様方と、女性のお一人様が数組といった具合で、自分もすんなりと席に座れた。椅子に対してテーブルが低いカウンター席だ。

 

頼んだ水出しアイスコーヒーは、チェーン店とは違う一風変わった豆を使っているらしい。エチオピアだか、キリマンジャロだか、グアテマラだか、そのへんだ。すっかりチェーン店の味に慣れてしまっている自分には、どうも馴染まない。馴染まないだけで不味くはないのだけれど。

 

なんとなく感じる居心地の悪さは、椅子の高さのせいだけではない気がする。自分が主要ターゲットじゃないからだろうか。思い返してみれば、落ち着いた店内だという口コミは主婦層と思しき人からのものだったかもしれない。確かに子連れの客は、楽しげに会話を弾ませている。サラリーマン男性はやはりドトールがお似合いということか。

 

誰かが言っていた。大田区は東京のなかでも田舎だと。

 

確かにそうかもしれない。そうかもしれないが、それは東京者の感想だ。地方出身者からすれば、この程度では田舎だとは思えない。

 

このあたりか。価値観の違いから来る齟齬。これが、僕の心の中に薄っすらと、しかし確実に積もり、それが僅かな居心地の悪さとして表出する。

 

大田区も今日寄った喫茶店も、決して嫌いではない。むしろ好きですらある。しかし、どうにも違和感というか、なにか違うと感じる。

 

それはやはり僕が田舎者だからだ。おそらく、僕は一生かかっても東京者にはなれないのだろう。

蛇口のノスタルジア

道を歩いているときに、ふと足下を見るとこんなものを見つけた。

 

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ん?

 

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蛇口のハンドルだ。

 

なんでこんなところに。

そう思って拾おうとすると、こやつ、固定されている。埋まってるのだ。

 

都会のど真ん中、オフィス街。

その一角に、埋まった蛇口。

こいつぁミステリーだ。

 

きっとそう、こんな経緯に違いない。

 

ここは昭和の時代、やはり今と同じようにオフィス街だった。令和の今と違うのは、建物の規模と地形。今のように山が切り開かれ、人工的に作られた平地などではなく、ちょっとした起伏に富んだ地域だった。そして現代のような高層ビルが乱立しているような街ではなく、雑居ビルがぽつぽつとある。そんな街。雑居ビルと雑居ビルの隙間を埋めるように、古き良き割烹なんかが建っている。

 

その割烹で使われていたのが、この蛇口。従業員が使う裏口にこの蛇口はあり、水を撒いたり洗濯に使ったりしていた。きっと厨房の親父達が、タバコを吸いながら暇をつぶしたり下っ端に説教したこともある。その灰皿に汲む水も、この蛇口から注がれていたんだろう。

 

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中堅の板前が鬼のような形相でひとりの少年に詰め寄っている。

「おい、ケン! てめえ! 皿洗いひとつ満足にできねえのか! 田舎に帰れ! この落ちこぼれが!」

そんな罵声を浴びせられるのは、中学を出たばかりの少年だ。その目には涙を浮かべている。

「すみません! すみません!」

自分の実力のなさを不甲斐なく思っての悔し涙か。はたまた先輩からの罵倒に心が折れかけている悲しみの涙か。

「それでも僕は、ここで一人前の板前になりてえんです」

頭を下げながら、涙を流しながら、しかしそれでも食い下がる。

「一人前の板前になって、田舎のかかあに美味いもんを食わせてやりてえんです」

「うるせえ! てめえの事情なんざ、周りの人間にゃあ関係ねえんだ! てめえが皿を割るたびに客がビビるだろうが! 皿を買う金だってバカにならねえ!」

「そこらへんにしとけ、タケ」

止めに入った大柄な男は、この割烹の大将だ。

「大将! でも、ガツンと言っとかねえと!」

「充分だ。てめえの実力不足はてめえ自身がよくわかってる。そうだな、ケン」

「はいっ」

大将に嗜められ、落ちこぼれだの大将は甘いだのとブツクサ言いながらタケは厨房に戻る。それを見送った大将は、懐からタバコを取り出して火をつける。

「悪かったな。タケは口はわりぃが、客を喜ばせてえって気持ちは人一倍だ。許したってくれや」

「はい、わかっています。全て僕の不出来がわりぃんです」

ふうっと煙を吐きながら、大将はぽつぽつと話し始めた。

「俺もな、ちょうどお前みてえに怒鳴られてたもんよ」

俯いていたケンが、えっ、と顔を上げて大将のほうを見る。

「そりゃあひでえもんだった。皿洗いすりゃあ皿は割る。運良く割れなくても、隅っこにこびりついた落ちもしねえ汚れが見つかって殴られる。初めて焼かせてもらった卵焼きは、一口も食わずに地面に投げ捨てられたもんさ」

ケンは黙って話を聞く。

「でもな、そこで俺ぁ諦めなかった。皿洗いも料理も接客も、下手くそだったからな。だから師匠の技を穴が空くほど見ていたよ。全部頭で覚えて、店仕舞いのあとに夜な夜な特訓さ。そんな下積みの時代が、俺を成長させてくれたんだ」

遠い目をする大将を、ケンは見つめる。その眼差しは畏怖であり、憧憬であり、尊敬だった。

しばらく2人は黙っていた。沈黙を破ったのはケンだった。

「大将。僕、まだ諦めません。ご迷惑もたくさんおかけするかもしれません。でも、まだまだやり残したことがいっぱいあるんです」

ケンを見つめる大将の目は、我が子を見守る目と同じ優しさが宿っていた。

 

「夜の客が来る前に、仕込みだな」

大将は灰皿にタバコを投げ入れ、ケンはその灰皿に蛇口から水を注いだ。

 

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しかし時が経つごとにそんな光景は失われていった。開発の過程で丘が削られ、谷が埋められる。雑居ビルのほとんどは取り壊され、摩天楼のごとく巨大建造物が立ち並ぶ。飲食チェーンが台頭してくれば、割烹なぞもはや生き残る方が奇跡だ。

 

この蛇口のある割烹は、谷間にあった。そしてその谷間は埋められた。昭和後期の、よく言えば大らかな、悪く言えば杜撰な工事の結果、蛇口はそのままにコンクリートが流し込まれ、無理矢理に平地が作られた。

 

割烹は奇跡的に生き残った。当時からは少しずつ趣を変えつつも、古き良き雰囲気は残しながらなんとか生き長らえた。店としての割烹は残っているが、建物は二度三度と建て替えられている。その結果、裏口はただの壁になった。厨房の親父たちがたむろしていた空間は、無機質な道路へと作り変えられた。従業員たちもの考え方や働き方も、現代風に変化していった。それは自然なことで、良し悪しを決めることではない。

 

そうして周囲は数十年の時が流れ、昭和が終わり、平成を走り抜け、令和を迎えた。しかしこの蛇口だけが、昭和の色香を残している。ハンドル部分だけが露出し、雨風に晒され続けてきた蛇口は錆び、剥がれ、それでもなお立ち続けている。俺は確かに昭和を生きていた。時代はあった。そんなことを証明するかのように、ひっそりと、しかし堂々と立ち続ける。それが自分の使命でもあるかのように……。

 

 

——

 

ま、たぶんそんな話はないんだろうけども。多分下水道関連の何かだと思われる。調べてもいない。

 

が、ちょっとくらい妄想したっていいじゃない。調べて真相を知る楽しみもある。適当に話を膨らませてみる楽しみもある。どっちも楽しい。それでいい。

 

ブログ太郎

昔々あるところに、ブログ太郎というブロガーが住んでいました。ブログ太郎は社畜で、いつも会社帰りの電車内でブログを書いていました。駆け出しのブログ太郎のブログには、読者がおりません。ブログ更新を告知するために使っているツイッターアカウントも、業者のようなフォロワーがひとりいるだけでした。

 

ある日のことです。ブログ太郎はいつものように、電車内でブログを書いておりました。ブログを書き終えると、少しでも人の目に触れてアクセス数を稼ぐために、ツイッターで更新報告をしました。そしてブログとツイッターを閉じ、ソーシャルゲームで遊びながら帰宅しました。

 

数時間後のことです。夕飯を食べ、お風呂に入り、食器洗いや翌日の準備も終えたブログ太郎は、スマートフォンを持ってトイレへ行きました。そこでツイッターを閲覧するのです。1日分の更新全てに目を通していきます。スクロールしていくと、数時間前の自分のツイートが目に入りました。ブログ更新報告です。

 

しかしよく見ると、そのアカウントはブログ更新の告知用アカウントではなく、普段のオタ活用アカウントでした。誤爆していたのです。オタ活用アカウントには、リアルの知人を含む120人ほどのフォロワーがいます。しまった、とブログ太郎は思いました。オタ活用アカウントのフォロワーには、ブログを書いていることを秘密にしています。フォロワーだけではありません。家族にも友人にも、誰にも内緒でこのブログを運営していました。理由は、なんとなく恥ずかしいからです。急にブログを始めて、意識が高そうで高くない文章を書いているところを、知っている人には見られたくなかったのです。しかし、知られてしまった。もう遅いかと思いながらツイ消ししました。

 

翌日、いつものようにブログを開き、アクセス数を見てみました。そこには、いつも通り0の数字が書かれていました。120人の知り合いからもスルーされるブログ。それがこの「社畜ライターのチラ裏」なのでした。

 

おしまい。

 

 

 

 

これは日本昔話なのか。それとも本当にあった怖い話なのか。

ブラック企業はやめとけおじさん「ブラック企業はやめとけ」

つい先日、仕事でいわゆるブラックな業界に勤めてる人と話す機会がありました。

 

ブラック企業ってすごいです。まず、ブラック企業に勤めてる人達は、ブラックであることをなんとも思ってないんです。気付いてはいるんですよ。ブラックなことに。そのわりには「まあ慣れだよね」と、歯牙にも掛けないといいますか。だから話が通じないんです。揶揄した表現とかではなく、本当に通じない。「大変ですね」と声をかけても、不思議そうな顔をして「いや、特には」なんて言っちゃうんです。その場には複数人いたんですが、みんながみんなそんな感じなので、僕がおかしいのかと思っちゃいました。

 

ブラックにも色々ありますからね。勤務時間がおかしいとか、休めないとか、給与が安すぎるとか、人間関係がおかしいとか。なので、一概にダメと言えるものではないのかもしれません。本人達が心の底から嫌がっていないなら、それを止める術はないんです。だからブラック企業ってなくならないんでしょうね。

 

でも、もし自分が嫌だなと思ったら、周りの反応なんて気にせずさっさと逃げることをオススメします。ちなみに僕は逃げる準備中です。先述の取引先に比べれば環境的にはよっぽどマシなんでしょうけど、いかんせんクソみたいな仕事しかさせられないんでね。僕の部署は他にも辞めたがってる人が数人いるし、なんなら既にリーダー格が抜けている。もう崩壊するんだろうな。してくれ。

石の上に三年いることは正しいのか。

3年前の今日、何があったかをちょこっと調べてみた。AKBの総選挙で指原莉乃が連覇を果たしたらしい。そうなのか。それは偉業なのだろう。その指原莉乃は既にHKT48から卒業しているし、2位だった渡辺麻友も同様のようだ。時の流れの早さを示している。正直、アイドルにあまり興味がない僕からすればピンと来ない例えだった。調べておいてなんだが。

 

あなたは3年前、なにをしていただろうか。なにも直近の3年でなくてもいい。中学や高校といったわかりやすく3年で区切られる時期もある。その間に、人は成長するし世界は変化していくだろう。

 

中学時代の思い出話をしたい。

 

そう切り出しておいて申し訳ないのだが、まずは小学生の頃のことを話しておこうと思う。名前も忘れてしまった同級生のことだ。

 

彼女はどちらかというと大人しいタイプで、休み時間は自由帳を広げ、いかにも女子小学生が描きそうな可愛らしい絵を描いていた。素人目線ではあるが、とても上手かったように思う。絵心のない僕からすれば、尊敬する出来栄えだった。

 

中学校に上がってしばらくすると、その子は変わった。友人の影響もあるだろうし、多感な時期なればこその変化だとも思う。彼女は、端的に言えばグレた。金髪になり、ピアスをいくつもつけ、授業にもあまり出なくなった。その事実をとやかく言うつもりはない。ただ、大人しかった彼女の変わりっぷりが印象的だった。

 

彼女が変わるまで、およそ3年。いや、決して3年の間に徐々に変わったりしたわけではないだろう。恐らくは彼女のなかできっかけがあって、見える世界が変わり、何かの機会に自分を変えようとしたのだと思う。ただ、僕と彼女は中学で同じクラスになったこともなく、僕が気付いたときには変わっていただけだ。

 

たった3年ととるか、3年もの月日ととるか。いずれにせよ、人が変わるには充分すぎる。人を取り巻く環境は大きく変わる。

 

石の上にも三年。この言葉を振りかざして、新人に「3年以内にやめるやつは根性がない」と教え込む人がいる。僕自身よ今の業界に入るとき、面接で社長から似たようなことを言われた。もっとも、彼の場合は「石の上にも三年というから、3年やってみて次に行きたくなったら行けばいい」というニュアンスだったが。

 

先人の知恵というのは、多くの場合はその通りなのだろう。時は金なりだし、百聞は一見にしかずだ。しかしながら、石の上にも三年は少し違うのではないだろうか。ただでさえ氾濫する情報が、日々刷新される。ブラックホールの存在は明らかになったし、5G規格の通信の導入も時間の問題だ。こんな現代に、3年も待っていたら時代の波に乗り遅れ、5年後には化石になってしまう。それくらい、世界は目まぐるしく進化を続けている。

 

そうは言いながら僕自身、同じ石の上ではないが同じ河原の石の上に3年以上座ってしまった。もちろん、土台となる石は強固になったし、手の届く範囲も増えた。だがそれだけだ。大海を知らない井の中の蛙のような状態になっている。

 

そうなった自分に気付いたとき、彼女のことを思い出した。きっと彼女は、石の上から一歩踏み出したのだろう。井戸の中から大海を目指して歩き出したのだろう。その方向が合っていたのかはわからない。だが、その勇気を僕は尊敬する。

 

きっと怖い。3年も座った石から立ち上がるのも、自分にとって世界の全てだと思っていた環境を抜け出すのも、きっと怖い。だが、変わらなければいけない日はきっと来る。人は誰も、同じままではいられない。だから、勇気を持って一歩踏み出したいと思う。

大人の特権。

ジャネーの法則という言葉がある。簡単に言うと、1歳の子にとっての1年と80歳の方にとっての1年では、1分の1である前者より80分の1である後者の方が短く感じるという法則だ。こんな言葉があることを、僕も今知った。今回はこの感覚についてのお話。

 

皆さんの小学校では、2時間目と3時間目の間の休みのことをなんと呼んでいただろうか。中休み、業間休みと呼ぶ地域もあるらしいが、僕の地域ではわかりやすく20分休みと呼んでいた。

 

そう、20分。たったの20分である。小学生であった僕らは、この20分の間に鬼ごっこドッジボール、ハンドベース、砂場遊び、コマ回し、将棋、トランプを用いた自作ゲーム、「これやろうぜ!」から始まる謎のリズム対戦ゲーム、王冠回し、消しゴム弾き、黒板への落書き、画鋲ダーツと、それはもう遊び倒した。小学生にとって、20分という時間は無限の可能性に満ちているのである。

 

ところが今の僕はどうだろう。昼休みに飯を食べ、余るのがちょうど20分程度。散歩すれば終わってしまう(ずっと社内にいると気が滅入るので、昼休みはだいたい歩いている)。腹を痛めてトイレに篭っている間に過ぎるし、朝の20分など無いに等しい。そのくせ、仕事に取り掛かったときの20分は果てしなく長い。大人にとって、20分とは絶望的に短く、それでいて絶望的に長い矛盾した時間なのである。

 

これは恐らく、時間の割合とかそういうこと以上に、何かがある。そう思っている。

 

子どもの未来は可能性に満ちているし、子ども自身もその自覚をほんのりと持っている。未来に不安なんてあろうはずもない。だって彼らはまだ、ウルトラマンにもなれるし、プリキュアにもなれる。プロ野球選手にもなれるし、アイドルにもなれる。そんな可能性を秘めている。だからこそ、目の前の20分に夢中になれるんじゃないだろうか。

 

大人になると、目の前のことに集中できなくなる。息抜きにゲームをしていても明日の仕事のことが頭に浮かんでくるし、仕事をしていれば自分の人生が五里霧中であることに絶望する。とてもじゃないが、心の底から楽しむということができなくなってしまう。

 

でも、だからこそ。そんな大人になった今だからこそ、僕は20分という時間を楽しみたい。ウルトラマンにはもうなれないかもしれない。プロ野球選手にはもう絶対になれない。でも、大人になった僕の目の前には、子どもの頃には想像もできなかった世界が広がっている。勉強やゲームや外遊びだけではない、世界の楽しみ方を知っている。人との繋がりを面白く感じられるのは大人だけだし、世界の広さにより感動できるのも大人だ。大人の特権だ。

 

後悔先に立たずという言葉だってある。今を楽しみたい。そうしてこそ、僕は人生を豊かに生きていける。そんな気がしている。

月500万円欲しいけど無理なのは知ってる。

毎月50万円もらって毎日生き甲斐のない生活を送るか、30万円だけど仕事に行くのが楽しみで仕方がないという生活と、どっちがいいか

 

燃えてますね。というか、燃えてましたね。

 

もしこのふたつしか仕事ないって言われたら、僕は多分30万円のほうを選びます。だって、今20万くらいしか貰ってないから。どちらを選んでも給料は増えて、なおかつ楽しさも選べるなら楽しいほうがいい。理想は50万で楽しいほうですけどね。

 

僕としては北海道で働きたいです。ライティングの仕事で、自社メディアだったら今のライターという名のオペレーター仕事より絶対楽しい。お金は貰えるだけ貰いたいですよ。そりゃね。500兆円欲しいですよ。でもそれは無理なので、せめて今よりたくさん貰いたい。25万円とボーナスが出ればそれでいいです。んで、これが今いちばん欲しいっていうのが、引っ越し代。負担してくれたら最高です。ここがネックで今すぐの移住は無理だね、なんて話を奥さんとしてます。これが出たらなー!最高だなー!

 

ま、理想論を語り始めればキリが無いんですよね。ただ、ただね。

 

月20万しか貰えなくてやりがいもない仕事はクソくらえ。

 

ということです。

 

今日は以上です。めちゃ短い。上で書いたことはわりと本気。誰かこのブログ読んでライターとして迎えてくれる石油王いないかなー!無理かー!石油王、日本語読めなさそうだもんなー!