社畜ライターのチラ裏

社畜ライターが仕事から離れて好き勝手に書くブログ。

蛇口のノスタルジア

道を歩いているときに、ふと足下を見るとこんなものを見つけた。

 

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ん?

 

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蛇口のハンドルだ。

 

なんでこんなところに。

そう思って拾おうとすると、こやつ、固定されている。埋まってるのだ。

 

都会のど真ん中、オフィス街。

その一角に、埋まった蛇口。

こいつぁミステリーだ。

 

きっとそう、こんな経緯に違いない。

 

ここは昭和の時代、やはり今と同じようにオフィス街だった。令和の今と違うのは、建物の規模と地形。今のように山が切り開かれ、人工的に作られた平地などではなく、ちょっとした起伏に富んだ地域だった。そして現代のような高層ビルが乱立しているような街ではなく、雑居ビルがぽつぽつとある。そんな街。雑居ビルと雑居ビルの隙間を埋めるように、古き良き割烹なんかが建っている。

 

その割烹で使われていたのが、この蛇口。従業員が使う裏口にこの蛇口はあり、水を撒いたり洗濯に使ったりしていた。きっと厨房の親父達が、タバコを吸いながら暇をつぶしたり下っ端に説教したこともある。その灰皿に汲む水も、この蛇口から注がれていたんだろう。

 

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中堅の板前が鬼のような形相でひとりの少年に詰め寄っている。

「おい、ケン! てめえ! 皿洗いひとつ満足にできねえのか! 田舎に帰れ! この落ちこぼれが!」

そんな罵声を浴びせられるのは、中学を出たばかりの少年だ。その目には涙を浮かべている。

「すみません! すみません!」

自分の実力のなさを不甲斐なく思っての悔し涙か。はたまた先輩からの罵倒に心が折れかけている悲しみの涙か。

「それでも僕は、ここで一人前の板前になりてえんです」

頭を下げながら、涙を流しながら、しかしそれでも食い下がる。

「一人前の板前になって、田舎のかかあに美味いもんを食わせてやりてえんです」

「うるせえ! てめえの事情なんざ、周りの人間にゃあ関係ねえんだ! てめえが皿を割るたびに客がビビるだろうが! 皿を買う金だってバカにならねえ!」

「そこらへんにしとけ、タケ」

止めに入った大柄な男は、この割烹の大将だ。

「大将! でも、ガツンと言っとかねえと!」

「充分だ。てめえの実力不足はてめえ自身がよくわかってる。そうだな、ケン」

「はいっ」

大将に嗜められ、落ちこぼれだの大将は甘いだのとブツクサ言いながらタケは厨房に戻る。それを見送った大将は、懐からタバコを取り出して火をつける。

「悪かったな。タケは口はわりぃが、客を喜ばせてえって気持ちは人一倍だ。許したってくれや」

「はい、わかっています。全て僕の不出来がわりぃんです」

ふうっと煙を吐きながら、大将はぽつぽつと話し始めた。

「俺もな、ちょうどお前みてえに怒鳴られてたもんよ」

俯いていたケンが、えっ、と顔を上げて大将のほうを見る。

「そりゃあひでえもんだった。皿洗いすりゃあ皿は割る。運良く割れなくても、隅っこにこびりついた落ちもしねえ汚れが見つかって殴られる。初めて焼かせてもらった卵焼きは、一口も食わずに地面に投げ捨てられたもんさ」

ケンは黙って話を聞く。

「でもな、そこで俺ぁ諦めなかった。皿洗いも料理も接客も、下手くそだったからな。だから師匠の技を穴が空くほど見ていたよ。全部頭で覚えて、店仕舞いのあとに夜な夜な特訓さ。そんな下積みの時代が、俺を成長させてくれたんだ」

遠い目をする大将を、ケンは見つめる。その眼差しは畏怖であり、憧憬であり、尊敬だった。

しばらく2人は黙っていた。沈黙を破ったのはケンだった。

「大将。僕、まだ諦めません。ご迷惑もたくさんおかけするかもしれません。でも、まだまだやり残したことがいっぱいあるんです」

ケンを見つめる大将の目は、我が子を見守る目と同じ優しさが宿っていた。

 

「夜の客が来る前に、仕込みだな」

大将は灰皿にタバコを投げ入れ、ケンはその灰皿に蛇口から水を注いだ。

 

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しかし時が経つごとにそんな光景は失われていった。開発の過程で丘が削られ、谷が埋められる。雑居ビルのほとんどは取り壊され、摩天楼のごとく巨大建造物が立ち並ぶ。飲食チェーンが台頭してくれば、割烹なぞもはや生き残る方が奇跡だ。

 

この蛇口のある割烹は、谷間にあった。そしてその谷間は埋められた。昭和後期の、よく言えば大らかな、悪く言えば杜撰な工事の結果、蛇口はそのままにコンクリートが流し込まれ、無理矢理に平地が作られた。

 

割烹は奇跡的に生き残った。当時からは少しずつ趣を変えつつも、古き良き雰囲気は残しながらなんとか生き長らえた。店としての割烹は残っているが、建物は二度三度と建て替えられている。その結果、裏口はただの壁になった。厨房の親父たちがたむろしていた空間は、無機質な道路へと作り変えられた。従業員たちもの考え方や働き方も、現代風に変化していった。それは自然なことで、良し悪しを決めることではない。

 

そうして周囲は数十年の時が流れ、昭和が終わり、平成を走り抜け、令和を迎えた。しかしこの蛇口だけが、昭和の色香を残している。ハンドル部分だけが露出し、雨風に晒され続けてきた蛇口は錆び、剥がれ、それでもなお立ち続けている。俺は確かに昭和を生きていた。時代はあった。そんなことを証明するかのように、ひっそりと、しかし堂々と立ち続ける。それが自分の使命でもあるかのように……。

 

 

——

 

ま、たぶんそんな話はないんだろうけども。多分下水道関連の何かだと思われる。調べてもいない。

 

が、ちょっとくらい妄想したっていいじゃない。調べて真相を知る楽しみもある。適当に話を膨らませてみる楽しみもある。どっちも楽しい。それでいい。