社畜ライターのチラ裏

社畜ライターが仕事から離れて好き勝手に書くブログ。

大人の特権。

ジャネーの法則という言葉がある。簡単に言うと、1歳の子にとっての1年と80歳の方にとっての1年では、1分の1である前者より80分の1である後者の方が短く感じるという法則だ。こんな言葉があることを、僕も今知った。今回はこの感覚についてのお話。

 

皆さんの小学校では、2時間目と3時間目の間の休みのことをなんと呼んでいただろうか。中休み、業間休みと呼ぶ地域もあるらしいが、僕の地域ではわかりやすく20分休みと呼んでいた。

 

そう、20分。たったの20分である。小学生であった僕らは、この20分の間に鬼ごっこドッジボール、ハンドベース、砂場遊び、コマ回し、将棋、トランプを用いた自作ゲーム、「これやろうぜ!」から始まる謎のリズム対戦ゲーム、王冠回し、消しゴム弾き、黒板への落書き、画鋲ダーツと、それはもう遊び倒した。小学生にとって、20分という時間は無限の可能性に満ちているのである。

 

ところが今の僕はどうだろう。昼休みに飯を食べ、余るのがちょうど20分程度。散歩すれば終わってしまう(ずっと社内にいると気が滅入るので、昼休みはだいたい歩いている)。腹を痛めてトイレに篭っている間に過ぎるし、朝の20分など無いに等しい。そのくせ、仕事に取り掛かったときの20分は果てしなく長い。大人にとって、20分とは絶望的に短く、それでいて絶望的に長い矛盾した時間なのである。

 

これは恐らく、時間の割合とかそういうこと以上に、何かがある。そう思っている。

 

子どもの未来は可能性に満ちているし、子ども自身もその自覚をほんのりと持っている。未来に不安なんてあろうはずもない。だって彼らはまだ、ウルトラマンにもなれるし、プリキュアにもなれる。プロ野球選手にもなれるし、アイドルにもなれる。そんな可能性を秘めている。だからこそ、目の前の20分に夢中になれるんじゃないだろうか。

 

大人になると、目の前のことに集中できなくなる。息抜きにゲームをしていても明日の仕事のことが頭に浮かんでくるし、仕事をしていれば自分の人生が五里霧中であることに絶望する。とてもじゃないが、心の底から楽しむということができなくなってしまう。

 

でも、だからこそ。そんな大人になった今だからこそ、僕は20分という時間を楽しみたい。ウルトラマンにはもうなれないかもしれない。プロ野球選手にはもう絶対になれない。でも、大人になった僕の目の前には、子どもの頃には想像もできなかった世界が広がっている。勉強やゲームや外遊びだけではない、世界の楽しみ方を知っている。人との繋がりを面白く感じられるのは大人だけだし、世界の広さにより感動できるのも大人だ。大人の特権だ。

 

後悔先に立たずという言葉だってある。今を楽しみたい。そうしてこそ、僕は人生を豊かに生きていける。そんな気がしている。